「ひじょうしょうです」
 医者の言葉に、漢字が当てはめられない。首をかしげると、瓶ぞこよりも大きくて丸い眼鏡をかけた医者は、カルテの端にさらさら、“飛嬢症“と書きつけた。
「飛蚊症はご存じですか」
「黒いものが見えるっていうあれですか」
「それです。そんなふうに、存在しない女子が見える症状です」
 はあ、と返す。医者が言うには原因も根治法もまだ見つかっておらず、ただまぼろしの女の子が消えるのを待つしかないのだという。
「治る方もおおぜいいらっしゃいますので」
 気休めにもならない台詞と、なにに効くのだかよく分からない目薬を持たされて病院を出る。ひとまず、自分が狂ったのでないことが判明しただけでもよしとする。なにしろ道端に唐突に女の子が表れて、消しゴムで消したようにいなくなるのだ、それが数日に一度の事態でも、仕事が手につかなくなるほど落ちこんだ。
 すっかり陽が落ちた町をとぼとぼ歩く。慣れた道に差し掛かると、まんなかに女の子が座りこんでいる。華奢で小柄だが、どこの幼稚園や小学校にもいそうな、ごく当たり前の女の子。立ち止まり、あたりを見回し、現実の光景ではないことを確かめる。昨日までは、それが現実でないことに気づくのが恐ろしかった。けれどもう平気だ。おそらくは乾燥にしか効かない目薬でも、この安心を与えてくれるなら、御守よりも上等じゃないか。嬉しくて足取りが軽くなる。女の子の隣を通りすぎる。影になって顔が見えない女の子が、ぼんやり立ち上がる。もう君のことは恐ろしくない。僕の目が脳にむかって勝手に見せる幻影だ。頭のなかでそう言うと、途端に女の子が消えた。もう会いたくないね、と勝手に声が出る。会いたくないの、とどこかから声がする。消えちまえ。消えてくれ。頼むよ。小さく呟く自分の声が、ふるえている。笑いをこらえたような声が、背中の向こうから聞こえる。むり、あたし、あなたのあたまにすんでるから。
 次は耳鼻科に行かなきゃなあ。軽くなる財布のことを考えて、僕はためいきをついた。





ペンネーム:よぶこ
大阪在住。事務職。

素敵なイベントを知り、勇気をふるいました。